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2011年12月 - 原岳のつれづれなるブログ
私、書道の教員免許(高校)を持っています。私は、小学校2年生から高校1年生までの9年間、
家の近くの書道教室に通っておりました。
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さて、時は流れて…
大学2年生の時のことです。
国語の教員免許に付随して、定められた単位を取得すると、
書道(高校芸術)の教員免許が取得できるのです。
そこで私は、書道の教員免許も取得しようと、書道も
受講したわけであります。
そんなわけで、大学の書道の時間に、有名な故明石春浦先生に
師事することになったのです。
※ほかにも、蓮見光春先生、本田春玲先生にも師事しました。
ただ先生方は覚えておられないでしょうが。
隷書は、私は一度も書いたことのないものでした。
それまでの私は、楷書と行書、そしてほんの少し草書を
学んできただけだったのです。
授業が始まりました。手本の臨書(そっくり真似ること)を
するのです。
数枚書いておりますと、明石先生が来られました。そして、
「原君は、隷書をかなり書いたことがあるね。」と言って
去って行かれました。
私は、まさか「これが3枚目なんです」なんて言えないから、
「ありがとうございます。」とだけ言いました。
それは、私が9年間かけて身に着けた書道の基礎のおかげ
だったのでしょう。
ゆえに、初めての書体にも対応できたのでしょう。たしかに、
筆づかいには自信がありました。
しかし…
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2年後…
私の大学では、毎年書道展を行います。それは、百貨店の
特設会場で行われるもので、書道の授業を受けている者は
みんな出展するのです。
私は、その隷書の作品を出すことにしました。
しかし、書けない。何百枚書いても書けない。
苦しみ、のた打ち回りましたが、どうしても書けない…。
締め切りは迫ります。
その結果…
わたしは、見るも無残な作品を出展することになったのです。
教員免許が取れたぐらいですから、目だけは肥えていたつもりです。
その私が思うに、その時出展された100人余りの作品で、私の
作品が、最も下手くそだったと思います。
私には、経験はあったけれど、隷書の才能がなかったのです。
要するに、簡単に友人に抜かれていったのですね。
それに、自分にとって、隷書が本当にあっている書体だったのかも
疑問です。
楷書か、行書にしておけばよかったのかもしれない…。
でも後の祭りでした。
すごく気まずい思いで、作品展の会場にいたのを覚えています。
今でも冷や汗をかきます。
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教訓です。
1.経験を素質と思って驕るな!
2.自分に合ったものを選べ!
3.褒められたときに魔がさす
本当の才能か努力でここまで来たのかを見つめて、客観的に冷静に
判断することの大切さ。
それを感じました。
思い出話に付き合ってくれて、ありがとうございました。
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